第17回移住者インタビュー『有限会社 柴田建設 設計担当 久保 玲奈(くぼ れいな)さん』

久保 玲奈(くぼ れいな)さん

 東京都出身。2019年4月に陸前高田市に移住。

陸前高田市に来られたきっかけは。

最初に陸前高田市に来たのは2012年8月です。東日本大震災の発災から1年半ぐらい経った頃で、大学の先輩が有志で企画していた被災地見学ツアーに参加しました。東日本大震災被災地の(岩手県)大槌町から(宮城県)南三陸町を2泊3日で巡るというツアーで、陸前高田市にも立ち寄りました。(陸前高田市は)平地が広い街だったので、他の街に比べて浸水区域も広く、また、瓦礫の量も圧倒的に多く、衝撃で言葉が出ませんでした。ツアーでは被害状況を見たり、ボランティアだけで作業したりしましたが、地域の方々とお話しする機会が無く、地域の方々が実際にどういう状況であったのか分かりませんでした。東京に戻って、もう一度行きたいと思っていた時に、「来年、またツアーをやるから、今度はスタッフとして参加してみない?」と誘われ、2013年のツアーにスタッフとして参加することになりました。ツアー候補地を検討する中で、陸前高田市で地域課題の解決や地域づくりの活動を行っている一般社団法人SAVE TAKATAの活動の一つ「若興人の家(わこうどのいえ)」の話を聞きました。東日本大震災を機に一気に加速した若者流出に対して、「若者流入」をミッションとし、学生(=若者)が陸前高田に継続的に関わりたくなるような活動をしていきたい、ということでした。主な活動内容は、陸前高田を訪れる学生(=若者)と陸前高田の人との交流拠点を創出する「家づくり(空き家リノベーション)」と、陸前高田の魅力を伝える「発見・発信(情報発信)」で、私は大学で建築を専攻していたこともあり、「家づくり(空き家リノベーション)」の活動がとても印象に残りました。まだ活動が本格的にスタートしていなかったこともあり、ツアーでは「若興人の家」に参加できなかったのですが、個人的には、大学で勉強していることが活かせ、継続して被災地に関わり続けることが出来る活動だと直感したので、ツアー終了後に個人的に「若興人の家」に関わり始めました。大学を卒業してからも社会人サポーターとして関わり続け、今年(2019年)で6年目になります。

何故、このタイミング(2019年4月)で移住ということだったのでしょうか。

陸前高田市に住みたいというのは、若興人の家に関わり始めた当初から思っていたのですが、当時はまだ大学2年生で、大学でやりたいこと・やり遂げたいことがあったので、卒業してからと決めていました。大学3年生になり就職活動が本格的に始まる前に、母親と移住について真剣に話をしました。母親は地方から東京に出てきているので、田舎暮らしの大変さや都会暮らしの良さを知っています。「都会で育ったのにどうして田舎へ行くの?」と、自分が田舎で経験してきた様々な話をされ、反対されました。それでも住みたいと言うと、「陸前高田に住みたい気持ちは充分わかった。でも、まずは東京で最低3年~5年間働いて、都会の仕事を知りなさい。」、「それでも陸前高田に住みたい気持ちがあれば、もう何も言えない。玲奈のやりたいことをやらせたいし、自分が住みたいと決めた場所に早いうちに行って、結婚や子育てを経験してほしい。」と言われました。私を育ててくれた母親を悲しませることはしたくなかったですし、他にも、家庭の事情などもあり、大学を卒業したら3~5年間は東京で働くことを決めました。その3年間が今年(2019年)の3月で終わったので、4月に移住しました。3年間ずっと、陸前高田市に住みたい気持ちが薄れることは全くなく、早く行きたくて仕方がなく・・・3年間耐えて、やっとやっとやっと住めた!!という感じです(笑)。

移住を決められた理由というのは。

大きく3つあります。1つめは、「あと2年経ったら、東北から離れる人が出てくるかもしれない」からです。東日本大震災があってから、まちづくりに関心のある人や、新しいことをしたい人が東北にはたくさん集まっています。しかしその中には、任期付きの方や、復興予算があって生活が成り立っている方などがいます。もしかしたらその方々は、復興期間が終わったら東北から離れてしまうかもしれないと思いました。私は前職がまちづくり関係の仕事だったこともあり、そういった方々からたくさんのことを吸収したいと思っていたので、早くに移住して、たくさんの繋がりをつくりたいと思いました。

2つめは、「やりたい仕事の選択肢が少なくなるかもしれない」からです。「東北には仕事が少ないよ」というのは、あらゆる場面で見聞きしてきました。東北で私ができる仕事ってなんだろうと思ったときに、建設業界が頭に浮かぶと同時に、自立再建が着々と進み始めている中で、需要はあと何年あるのだろうと不安になりました。陸前高田の知り合いの何人かに聞くと、2~3年だろうと言われました。移住する上での親との約束のひとつが「企業に就職をすること」ということもあり、タイミングを逃したら住めなくなると思いました。

3つめは、「自分らしくいられる居場所だった」からです。陸前高田をはじめとし、東北で出会う皆さんは、いつも私の内面を見てくださいました。それまでは、お洒落じゃないと友だちができない、面白いことを言えないと輪に入れてもらえない、といった環境にいることが多かったのですが、そんなことがどうでもいいと思えたのは、東北の皆さんと出会えたからです。頑張りたいことを応援してくださる、悩みがあったらとことん聞いてくださる、そんな方々に囲まれた人生を送りたいと思いました。 

お母様はもう反対はされていないのでしょうか。

今はもうあからさまに反対はしないですが、それでも何となく、納得していないというか、寂しそうにしていることは感じるので、私としては今何かをすごく頑張って偉業を成し遂げようというよりは、まず親を安心させられるような生活をすることが一番だと思っています。自分から親元を離れて好きなことをしたいと言っておいて、無理をして体を壊して帰るのでは本末転倒ですので・・・。

地域の交通についてはどうでしょうか。こちらは首都圏や新幹線等の駅からも遠いですが。

首都圏からの移動は基本的に夜行バスだったので、寝ていたら着いてしまい、遠いと感じたことはないですね(笑)逆に、新幹線で行こうとすると、乗り継ぎが多かったり待ち時間が長かったりで、大変です。

交通面での不便があるとすれば、家族や友人を呼ぶことになった時に、「陸前高田まで1人で来てね!」とは言えず、「一関駅まで迎えに行くね!」と言うことになると思います。ただ、陸前高田市~一関市間は車で1時間半ほどですし、また、一日5本程度は一関駅~陸前高田市間の直行バスも出ていますので、1人で移動してもらうのがめちゃくちゃ大変というわけではないですね。

こちらでの移動は主に車ということになってしまいますが。

もともと車の運転は好きですし、むしろ電車が大大大嫌いなので(笑)。かえって車の方が嬉しいです。「電車が嫌いすぎて逃げてきた」と言っても過言ではありません(笑)車だと空調も自由に調節出来て、荷物も積込み放題です。ただ、冬は雪道が怖いですね。自分の車を購入するにあたって、二駆がいいのか四駆がいいのか迷いました。

どちらにされましたか。

二駆にしました。色々な方に聞いてみたのですが、行動範囲によると言われたからです。冬に(岩手県内陸部の)遠野市や盛岡市に頻繁に行かず、市内でも急な坂道を通らないのであれば、二駆でも大丈夫とのことでした。

(2019年)4月から陸前高田市内の建設会社にお勤めとのことですが。

建設会社で設計を担当しています。移住するにあたっての親との約束のひとつが「企業に勤めること」だったのと、大学で建築を専攻していたことや一昨年(2017年)に2級建築士の資格を取得したことから、それを活かせる仕事をしたいと思いました。陸前高田市内の建設業界に勤めている方々にヒアリングしてまわったところ、その内の一人が今勤めている会社の社長と繋げてくださり、無事に企業へ就職することができました。

お給与の額等については。

以前勤めていた職場の3年目のお給料より、2万円ほど高くなりました。週6出勤であることと、2級建築士であることの資格手当があることが理由だと思います。また、今後「若興人の家」の活動の主担当を務めることになり、そちらからも少し報酬が出るということで、金銭面の心配はしていません。

副業についてお勤め先の方は。

聞いてみたのですが、「全然構わない。」とのことでした。社長がこれまで様々な場所で活動されてきたこともあり、私にも同じようにたくさんの経験をして欲しいと言われました。若興人の家の活動はもちろんですが、一番驚いたのは、どんなに仕事が忙しくても、8月7日のうごく七夕祭りは仕事を休みをとって参加しなさい!!と言われたことです(笑)

御理解がありますね。

社長は現場によく連れて行ってくださるのですが、大工さんと笑顔でやり取りしている姿を見る度に、社員からの信頼のあつさを感じます。本当に素敵な会社に巡り合うことができました。

お住まいについて。

住みやすい家に住むことが出来ていると思っています。大きい民家に、移住してきた女性4人でシェアハウスをしています。決まるまでは色々と苦労しました。最初は、私と同時期に移住する女の子と一緒に住みたいと話していて、空き家バンクをしている高田暮舎を通じて5~6件見に行ったのですが、一人暮らし向けの広さであったり道路に面した場所で騒がしかったり等、ちょうどいい物件が見つかりませんでした。二人で住むのを諦めて、やっと見つけた一人暮らし向けの賃貸物件も、少し広めの角部屋が家賃月7万円で、小さめの方が月6万5千円と、高すぎて借りることが出来ませんでした。他の移住者も言っていますが、賃貸は高いですね。社長からも「住むところ大丈夫そう?」と心配され始めてきて、どうしようかな…と思っていた時に、一年以上前に遊びに行ったシェアハウスを思い出し、空き部屋がないか聞いてみました。客間ですが一部屋空いているということで、そこへ住むことになりました。シェアハウスなので、家電を揃える必要が無く、服や日用品を段ボールに詰めるだけで、すぐに引っ越しは終わりました。家賃や光熱費、駐車場込みで毎月2万円いかないくらいです。

今後「若興人の家(わこうどのいえ)」で携わられる事業というのは。

現在の一般社団法人SAVE TAKATAでは主に「ICT事業」「教育事業」「街商事業」の3事業を行っています。「教育事業」の中に小学生事業、中学生事業、高校生事業、大学生事業、の4つがあり、「若興人の家」は大学生事業に該当します。私が「若興人の家」に関わり出した当初から活動内容は大きく変わり、今年度は、首都圏の大学生が陸前高田市の中学生や高校生と交流しながら、「大学の選び方」「大学生活」「進路の選択肢の広さ」などを伝える活動をします。陸前高田市には大学がないために、中高生は大学生と接する機会が無く、大学の特色が分からないまま偏差値で大学を決めるケースが多いからです。また、就職面でも、普段関わっている人たちの職業しか知らないまま進路を決めてしまうケースも多いそうです。例えば、美容師とか、公務員、学校の先生などです。どのように中高生と交流するかはこれから大学生と一緒に考えていきますが、部活や宿題で忙しくしている中高生が負担にならない時間や、車で移動できない中でもアクセスしやすい場所にしようと思っています。

私は大学を卒業してからも、陸前高田のファンを増やしたい一心で、社会人サポーターとして大学生と一緒に活動を考えたり、陸前高田の案内をしたりしてきました。陸前高田に引っ越してきたからといって関わり方は大きく変わりませんが、首都圏にいる大学生たちと物理的な距離ができたので、どのようにコミュニケーションをとっていけばいいか模索中です。これからも、大学生に陸前高田市の魅力をたくさん知ってもらうために頑張ります!!

大学生はどの様にして集められるのでしょうか。

首都圏の大学のボランティアセンターや外部会場等で説明会をします。お昼休みに開催すると、お弁当等を持って5~10名弱の参加があります。

関心があるのですね。

一昨年に説明会を依頼した大学のボランティアセンターが、説明会の案内をボランティアセンターのメーリングリストに流してくださったところ、多くの参加があったため、その方法を続けています。もともとボランティア意識の高い子たちに案内を出しているので、参加者も多いのだと思います。

今後やりたいことや夢等がもしあれば。

陸前高田市に住むことが夢だったので、次の夢はこれからですね。夢を見つけるためにやりたいと思っていることは、東日本大震災があってから東北に集まっている、まちづくりに関心のある人や新しいことをしたい人と繋がる機会を増やし、多くのことを学ぶことです。前述の「移住を決めた理由」でもお話したように、そういった方々は、もしかしたら復興期間が終わったら東北から離れてしまうかもしれないからです。前職で3年間まちづくり関係の仕事をする中で、主体性が持てる地域と持てない地域の両方を見てきました。陸前高田市には、まちを盛り上げていきたいと思っている若者やよそ者がたくさんいて、その人たちが地元の人を巻き込もうとする中での苦労や葛藤を様々聞いてきました。それを聞いて私がすぐに何か出来るわけではないですが、そういう人たちと一緒に悩みながら、一緒に学んでいきたいです。復興期間も残り2年で、これからが山場で、とても重要な時期だと考えています。