第7回 移住者インタビュー『レベルの高い気仙(けせん)の食材を活かし、食で町おこしを すみたのだいどころKerasse(ケラッセ)』

移住者インタビューの第7回は前回お話を伺った鈴木 翠さんの勤務する「すみたのだいどころKerasse」のシェフ坂東 誠さん、おなじくシェフの菅野 悠太さん、ホールスタッフの菅野 佳奈子さんと一般社団法人SUMICAに勤務する菅原優衣さんの4名に移(移動手段)・職(仕事)・住(住まい)を中心にインタビューしました。

すみたのだいどころKerasse(ケラッセ)

坂東 誠さん(青森県十和田市出身)

~岩手はどこに行っても山の緑や音がとても深い。

住田は静かですね。外に出ると疲れが取れるような環境~

3.11に起きた東日本大震災をきっかけに東京のNPO法人の仲介により仮設住宅で半年に1回開催していた料理教室が縁となり、住田町へ移住。関東で20年以上暮らした後、現在は住田町営住宅に住んでいる坂東シェフ。『都会に住んでいる時は‘車’の必要性がなかったが、こちらに来てからは‘車’を持ちました。』(坂東シェフ談)

住田町の印象は?

『岩手は色、音、食材(味)すべてに深みがありますね。空気感も違う。全てが深い。山の緑だったり、川の音だったり。住田は静かですね。外に出ると疲れがふっと取れる感じがします。』と聞いている側が自然に囲まれて生活する様子を想像できるような言い回しで答えてくれました。その後、‘職(仕事)’についてお話を伺ったところ、『買う側も提供する側も都会と違ってのんびりしていることが、経営面に反映することもあり、のんびりしているのが必ずしも良いわけではない。』と長年の都会での経験で研ぎ澄まされた商魂から鋭い視点で話す一面も。『田舎は田舎になり、都会は都会になる。もっと売る側も買う側も意識を高く持つことが大事だと思う。』『一回外に出た僕らが何とかしていかないとなあ。』と考えているようです。

おすすめの食材は『ありすポーク!』

『レベルの高い食材がそろっているので・・・むずかしいですね。』と前おきした上で、『ありすポークですね!価格も親切ですし、今まで食べた豚肉の中で一番美味しいです。』といちおし食材について紹介。

『個々では色々と食材の良さを広げるべく行っているとは思うんですが、気仙は食材のレベルが高く、海側の2市(大船渡市/陸前高田市)、山の住田町の2市1町がまとまって、‘食’にフォーカスした催事‘食おこし’のお祭りみたいなのを開催できたらいいですね。』と気仙の食材の良さをますます引き立ててくれるようなアイディアを提案していただきました。また『気仙の食材をケラッセに限らず、色々な場面で提供していけたら良いなあ。』とも思っていて、『いいものが見つかり次第どんどんメニューなども増やしていきたい』とのことでした。

坂東シェフ 料理教室の様子

※ありすポーク・・・岩手県気仙郡住田町の山間に位置するありす畜産でこだわりの減投薬で育てられた地元産の豚肉。

ありすポークを使用したランチ~ありすポークのしゃぶしゃぶ&ワラサのフリット(週替わり住田ランチ)

菅野 悠太さん(岩手県気仙郡住田町出身)

もともと地元に戻って来たいと思っていた。

~地域おこし隊の一員であり町職員としてケラッセに勤務~

盛岡の専門学校へ進学後、盛岡で働いていたが、ケラッセができることを聞き、Uターン。『もともと地元に戻って来たいと思っていた。』と話す菅野 悠太さんの住まいは‘実家暮らし’ 住田町役場の職員で、地域おこし隊の一員として食育プロジェクトに携わり、ケラッセのオープン当初よりシェフとして働いている。

生まれ育った住田(すみた)ってどんなところ?

『生まれ育った住田は静かなところ。食も美味しい。移動するのには車がないと不便だが、中心地まで行こうと思えば行けるのでいいかな。今は住田から出ようとは思っていません。』と地元に根ざした生活を送っている悠太さん。

住田(すみた)や気仙(けせん)の‘食’の情報発信にも力を入れていきたい。

現在、役場の人や農家さんと試行錯誤しながら、地元の素材を活かした食づくりに取り組んでいる菅野さんは、『農家さんとの交流も大事にして気仙管内だけでなく交流を深めていきたいですね。また、住田や気仙の食の情報発信にも力を入れていきたいです。』とお話してくれました。現在、地元産の材料を使ったパンやビール造りをしているそう。近々お披露目できるかなあ。との楽しみな情報も。『住田町は東京のNPO法人とのつながりなども活発で、情報発信能力が高いので、今後も情報発信に力を入れて取り組みたいと思います。』(菅野さん談)

菅野シェフ 調理の様子(上段写真)

ミニ産直にはケラッセ手作りパンもすらり(下段写真)

ケラッセ店内にはミニ産直も・・・その日採れたての野菜やお米・みそなど地元産の商品がずらり・・・

菅野 佳奈子さん(岩手県陸前高田市気仙町出身)

~故郷には魅力的な人やものがいっぱい。

もっと自信を持って暮らして欲しいな。~

ケラッセではホールスタッフとして働いている菅野さんは東京ではデザイナーとして働いていたが3.11に起きた東日本大震災をきっかけに生まれ育った故郷へ帰郷。戻って来てからも地元陸前高田でボランティアデザイナーとして町の復興の一旦を陰ながら支える仕事にも就き、雑貨店の店長などを経て、ケラッセのホールスタッフとなった。住まいは震災で被災し、現在は両親が高台に再建した‘実家’より住田町へ車で通勤している菅野佳奈子さん。『車は必需品ですね。』と前者の坂東シェフや菅野さんと同じように話してくれました。

生まれ育った街ががっぽりなくなり、身体に穴が空いた。

『(3.11に起きた東日本大震災で)生まれ育った街ががっぽりなくなり、めちゃめちゃ身体に穴が空いたような感覚になり、そこでやっと気がついた。』と吐き出すように話す佳奈子さん。

『気仙には、魅力的な人やものがいっぱい。自発的に色々やっていくと町ももっと良くなると思うから、自信を持って暮らして欲しい。』と一回故郷を離れて過ごしたことから、また新たに、故郷の人や魅力や可能性に気づいた佳奈子さん。『都会だと、お金を払わなければ観れないような景色も普通の生活の中で観てとれるのでいいですね。』『生まれ育った陸前高田は海もあり落ち着く。住田町は古い建物とかも残っていていい素材があり、活気がある。』と感じているそう。デザイナー職を経て改めて地元を見ると素敵な素材がたくさんあると話す佳奈子さん。『例えば、海・山・川はきれいだし、人も愛嬌があって素敵。』と絶賛する。また、『食に全く興味はなかった。でも、料理ってすごいものづくりだなあ。と、ここ(ケラッセ)に来て思った。食べれば身体になるし、年齢問わず楽しめるし。ケラッセは仕事面でもモチベーションをあげていこう!というところなので自分自身のモチベーションも上がる。』と充実している様子でした。

『‘職’はかわったけれど、人を幸せにするという信念はかわらないかな。』

東京そして帰郷して、別の職種に就いた菅野さんは、『一回外に出ることは視野も広がっていいと思う。』ときっぱり。また、『職(仕事)は変わったけれど、基本的なことは同じ。仕事(手段)がかわっただけで、人を幸せにするという信念はかわらないかな。』と仕事に対する姿勢についてもしっかりと話してくれました。ケラッセではホールスタッフを担当しており、心和むような笑顔の佳奈子さん。

『とにかく一度足を運んで欲しい。』

『来れば、勝手につながっていくと思う。勝手に輪ができるし、何かしらイベントに参加したりしていると繋がっていける人と繋がる。とにかく足を運ぶことが大事。きっかけがないと難しいかもしれないけれど、旅行がてらでもいいと思う。若い人にもどんどん来て欲しい。若い人がいるだけでいいし、お話できるだけでもいい。色んなところで得たものをスパイスとして加えてくれるだけでも刺激があっていいですよね。』

ホールスタッフ 菅野 佳奈子さん お客様の前で調理パフォーマンスをすることも。

菅原 優衣さん(岩手県一関市出身)

今の生活を楽しんでいる。しばらくは住田にいたい。

一般社団法人 SUMICAに勤務。

菅原さんの働いている一般社団法人SUMICAは、ケラッセとは同じ建物内にあり、ケラッセからは廊下を渡ったところに事務所がある。東京から2月にUターンしたばかりの菅原さんは1年前に住田町を訪れたことと植田さん(まちや世田米駅マネージャー)とのご縁があり、一般社団法人SUMICAで働くことになった。

ずっと岩手が好き!もともと将来的にはUターンしようと思っていた。

大学生活を盛岡で過ごし、東京で社会人として約3年間働いていた菅原さんは東京での3年間の通勤について振り返り、『通勤に1時間かかることがもったいないとずっと思っていた。』と話す。現在の通勤時間は徒歩3分。住まいも1軒家をシェアして住んでいる。『大学を出る(卒業)時に将来は岩手に住もうと思っていました。ずっと岩手が好きだったので・・・大学に入る年に震災があり、自然にボランティアで色々な場所へ出かける機会が多くありました、その時間を通し、岩手の良さを見つけることができました。』『東京が嫌で戻って来たわけではないし、一概に東京がだめだとは言いたくないんです。一回外に出ることで視野も広げられるし、また改めて(岩手)いいなあ。と思って戻って来られたらいいですよね。』

個人としても田舎でもこんな暮らしができるよ!というような日々の情報発信もしたい。

『近所の人から野菜をいただいたりすることも多く、とても助かります。ありがたいことにSUMICAで借り上げている1軒家なので家賃も安く済んでいます。住田は人との距離が近くていいです。』とすっかり‘住田暮らし’の毎日を満喫中!『個人としても田舎ではこんな暮らしができるというような情報発信もしていきたいです。』

やはり車は必需品ですね。

『移動手段は基本、車です。バスの本数がかなり少ないので、お年寄りや学生にはやさしくないですよね。』と地域の人達の不便さにも目を向ける。

働き方次第・・・柔軟な働き方ができると思う。

『お給料も東京にいる時より額面は減ったけれども、副業も可能ですし、自分がどれだけやるかなので全然不満はないです。』

『たくさんの人から今の仕事は何やってるの?と聞かれるんですけど・・・何屋さんとはひと言では説明できません。イベントの企画・運営や広報物の作成など様々です。まちやにいらっしゃる方の接客も行っています。幅広い対応力のつく仕事だと思います。今後はこの町の中で地域に根ざしたこの町でしかできないことをやっていきたい。』と何か新しいものを提供してくれそうな菅原さんの視点は子供の教育面などにも目が向けられていて ‘町の内側にいるソトモノとして何か変えていけたらなあ’。と考えているようです。

一般社団法人 SUMICAの事務室で仕事をする菅原 優衣さん

SUMICA事務室の隣の部屋

ケラッセから一般社団法人SUMICAへは廊下を渡って行き来ができる

住田町住民交流拠点施設『まちや世田米(せたまい)駅』

建物は、明治時代に建てられてた旧館と昭和32年に増改築された新館からなる旧菅野家を活用した複合施設。

指定管理者制度によって一般社団法人SUMICA(村上 健也代表)が管理・運営を行っている。

まちや世田米駅表側(緑と紫の布看板のあるところにSUMICAとkerraseがある。
その隣にはよりあいカフェ・しょうわばしがあり、この日年配の方達の笑い声が通りまでひびいていた。

※すみたよりあいカフェ・しょうわばしは住田町/住田町社会福祉協議会/住田町地域包括支援センター/一般社団法人邑サポート/地域ボランティアが運営。昔は中里水道屋さんで入り口部分が改修され、隣のまちや世田米駅と隣接し、レトロな雰囲気でまとめられている

世田米公民館としても利用されているまちや世田米駅・・・世代と時間を越えて交流ができるスペースがたくさんある。